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2005年12月29日 (木)

特別支援教育とは

「特別支援教育」とは何か?

 学校現場で「特別支援教育」という言葉が聞かれ始めてすでに数年が経緯しています。でも、「特別支援教育」とは何か? と問いかけられて、思い浮かべることは極めてあやふやな概念なのではないでしょうか? それは鵼(ヌエ)のごとく猿にも狸にも蛇にも虎にもなる摩訶不思議な存在なのです。

 ある人は、「軽度発達障害児への支援」を思い浮かべますし、他の人は「校内委員会・コーディネーター・地域支援・巡回指導」などの体制確立を考えます。また、「1%から1割へ」の対象児の拡大による制度改革や教師の意識変革が大切なのだと考える人もいるでしょう。そうしたことは全て正解であるとともに全て一面的な理解に過ぎないと言うこともできるものでしょう。

 実際に文科省の進める「特別支援教育」とはどんなものでしょうか? 

 文科省が言っているのはたった二つのことです。

それは、「LDADHD、高機能自閉症により学習や生活の面で特別な教育的支援を必要とする児童生徒数について、……約6%程度の割合で通常の学級に在籍している可能性」を指摘したこと。「近年の国・地方公共団体の厳しい財政事情等を踏まえ、既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方について見直しを行いつつ、また、地方公共団体においては地域の状況等にも対応して、具体的な条件整備の必要性等について検討していく」と言うことです。(注1)

 これを私流に翻訳して言うと、「一般の小中学校には大変な子が6%もおるんやで。そやけどお金はありまへん。地方間の格差もつけて、養護学校や養護学級の先生にその子らの面倒見させましょう」ということです。

 もし彼らが、「軽度発達障害」児の問題を「喫緊の課題」と認識しているのであれば、現行制度の中でも通級指導教室になけなしの人材をつぎ込むことで状況は少しでも改善されたはずです。でも、彼らが行ったことはまったく逆の通級指導教室の人員削減でした。この一点を見ても、彼らが本気で「軽度発達障害」児への手だての充実を考えていないことは明白です。

文科省の三つの狙い三つの手法

 では、彼らの狙いは何なのでしょうか。

 まず、第一の狙いは、教育費の削減です。障害児教育と言う最も金のかかる部分への切捨てやリストラを目論むものであると言うことです。障害のある子ども達の教育には施設や人員配置の面で金がかかるのは当然のことです。でも、文科省の「特別支援教育」の基本スタンスはそうした当然の論理を無視する方向性にあります。

 第二の狙いは、教育の能力主義的再編です。全国的には校区の自由化・習熟度別指導・中高一貫校・学力テスト等の流れがあり、競争原理の教育が一層推し進められる中で、障害児教育にもそうした視点が盛り込まれようとしているのです。東大阪の玉川高校跡地にできる新設養護学校は、まさにその典型です。

 第三の狙いは、教育内容も含めた教育の国家統制の強化です。ここでは東京の七生養護の例が特徴的です。父母と教職員が共に練り上げた性教育の実践を踏みつけにして、一方的な攻撃を行うことは許されないことです。「個別の指導計画」と言う名で一部の人が指導内容を決定し、現場の人間はそれに従うのみという教育システムが各地で導入されています。また、教科書問題や国歌・国旗問題でも攻撃の矢面に立ったのは、常に障害児学校でした。

 文科省の三つの狙いの攻撃は、障害児教育にかけられた攻撃であると共に全ての教職員にかけられる攻撃のサンプルです。ここでの反応を見極めつつ、より本格的な全教育への戦線拡大を狙っていることを見抜かなければならないのです。

 また、そうしたことを進める上での彼らの手法についても見ておかなければなりません。

 第一の手法は、民主主義を破壊して強権的手法に訴えることでした。七生養護の例を出すまでもなく、「新たな職の設置」とか「調整額の全廃」等の大阪府教委の対応を見れば、そのことは明白でしょう。

 第二の手法は、「地方分権」に名を借りた地方間格差の積極利用です。おそらくはそうした視点での各地域の指導目標もあるのでしょう。後で改めて論じることになるでしょうが、養護学級を一気に減少させるわけにはいかない大阪はまず調整額で攻めろ! といった戦術指導も含めて、地域間格差を最大限利用する意図は明白です。

 第三の手法は、それぞれに抱える切実な要求をお互いに反目させることによる「漁夫の利」作戦です。「軽度発達障害」児とその保護者の抱える切実な要求を利用して、養護学校や養護学級の保護者の要求とあえて対立をあおり、予算の奪い合いをさせるかのような、まともな人間には思いつかないような「奇策」を彼らは実行したのです。

でも、この目論見はすでに破綻しています。今年の全国教研「障害児教育フォーラム」では、大阪の有力なLD親の会組織がこぞって参加し、パネラーを務めてくれたりしたことが、その最大の反論です。しかしながら、彼らは、この対立をあおり、分断する作戦には、それなりに手ごたえを感じているようなので、これからも繰り返されるだろうことを肝に銘じておくべきでしょう。

 「特別支援教育」には「光と影」が混在していると言われることが多いです。でも、私には文科省の言う「特別支援教育」には影の部分しか感じません。もし光の部分があるとすれば、それは私たちの教育実践の深化によってしか具体化しないだろうと思うのです。

 闇の中の一条の光、それは、文科省をして「特別な教育的支援を必要とする児童生徒」が「6%程度」いると言ったことでしょう。しかし、それとても文科省の実際の行動は通級指導教室の教員削減だったのですから、本気で考えているとは思えません。

 こうした言葉の行き違いは今に始まったことではないでしょう。総合学習・生活科……、など多くの局面で、我々の発想が彼らの路線に組み込まれ、本来の意味とは似ても似つけぬ異様な存在へと変質させられた例があります。今回もそれと同じ状況になっていると思うのです。

「特殊教育」から「権利としての障害児教育」へ

 そのことを明らかにするためには障害児教育の歴史を振り返る必要があります。

 戦後の障害児教育は「特殊教育」としてスタートしました。でも、この「特殊教育」は、障害の重い子どもには就学猶予・免除で学校教育から排除するなど、ずいぶんと差別的な性格を持つものでした。私たちの先輩諸氏はその差別性を克服するために、「権利としての障害児教育」の思想を確立し、どんなに障害の重い子どもにも教育権を保障するために闘ってきました。そうした運動の成果として養護学校の義務制を実現し、訪問教育の充実などを勝ち取ってきたのです。

 では今問題になっている軽度の子どもたちはどうだったのでしょうか?

 当時の文部省は、『養護諸学校と特殊学級在籍児以外は全て健常児だ』というのが基本スタンスでした。つまり、在籍児以外に障害児はいないのですから、そこに特別な配慮が考えられる余地はなかったのです。その結果、スペシャルエデュケーション(特別教育)の比率が諸外国の1020%程に比べて1%前後という低水準にならざるを得ませんでした。

 日本は国際的にも珍しい「履修制度」の国です。学習内容が身についていてもいなくても年限が来れば、小・中学校では「ハイさようなら」で卒業資格が取得できます。でも、諸外国の多くは「単位制度」ですから、小・中学校でも留年があるのが普通です。諸外国の障害児認定基準に「2学年以上の学力差」等の記述が見られるのはそのせいです。

 そうした制度と文部省の意向は、教育現場にも大きな影響を与えたと、私は考えています。「在籍児以外は全て健常児」という視点で、私流に言えば「世界に冠たる統合教育」の実験が行われていたのです。

あぶり出された「6%」

 私事で恐縮ですが、小学校時代の私は病弱で友達と遊べず、先生から「帰りなさい」と叱られるとそのまま家に帰ってきた経験があるなど、今なら間違いなくアスペルガーの診断を受けただろうと思います。でも、団塊の世代である私は「世界に冠たる統合教育」の中で、なんとか成長できたのです。

 「世界に冠たる統合教育」がなり行かなくなったのはなぜでしょうか?

 家庭や地域の教育力の低下もあるでしょう。でも、決定的に大事なことは学校教育がそうした子どもに住みにくい環境を作り出していることにあるでしょう。「ゆとり」が叫ばれることで、学校生活のゆとりが奪われ、「新学力観」が叫ばれることで、意欲・関心が削がれ、果てしない競争原理に投げ出された子どもたちに不登校や問題行動が多発したのは、残念だけれど当然の成り行きでした。

 文科省は、一方においてそうした問題状況を生み出しながら、今度はそうしたことを逆手にとって教育現場に攻撃をかけようとしているのです。

 そもそも「6%」とは何でしょうか?

 調査の対象となった項目を見ても、それがLDADHD・高機能自閉(アスペルガーを含む)ばかりとは考えられません。そこには軽度知的障害を含んだ「学力不振児」が相当数含まれていると見るべきです。にも関わらず、「6%」を上記三障害に限定してとらえようとする文科省の真意はどこにあるのでしょうか?

 私はそこに、文科省の二つの意図が隠されていると思います。

まず、LDADHD・高機能自閉といった「軽度発達障害」の問題をどこにもあるささいな問題として描き出すということ。いま一つは、「学力不振児」等の問題を障害児教育の範疇だとして「切り捨て」ようとすることです。

「軽度発達障害」は、名称は「軽度」だけれど実際には大変なケアを要する子どもです。でも、それをこの名称で6%もいると言われれば、その大変さは霧の中にかすんでしまうでしょう。また一方、「学力不振児」の克服には学級規模の縮小など、通常学級の教育条件の改善が不可欠のはずですが、「6%」を異質なものと見なすことによって、その問題にも封印を押すのです。

こうした姿勢から、文科省の言う「特別支援教育」が、新しい装いをまとってはいるが、従来の「特殊教育」路線への逆戻りに過ぎないものだということが断定できます。

特別支援教育に打って出る

 こんなにも「悪口」を言ったのだから、板井は特別支援教育に反対なのかと思われるかも知れません。でも、そんなことはないのです。

 確かに、文科省の言う「特別支援教育」には反対ですし、いくつもの疑問を持っています。けれども、それを乗り越えて特別支援教育に打って出ることは、個人的にも組合としても焦眉の課題だと思っているのです。

 それは何よりも現場の先生方や保護者の皆さんからの悲鳴に近い訴えを耳にするからです。40名近い学級を持ちながら、その中に「軽度発達障害」の子を抱えて途方にくれる先生がいます。わが子の教育について学校教育に不満や憤りを持っている保護者の方がいます。そのことは小・中学校に限った問題ではありません。先般行われた障害者センター主催の学習会には、高等学校の先生方が大挙して参加されました。つまり、全ての教育現場で今、特別支援教育がらみの問題が職場の大きな課題になっているからです。

 今年7月、全教は「通常学級におけるLDなどの困難をかかえる子どもたちの教育のあり方について」のパンフレットを出しました。このパンフは副題の「『困った子』ではなく『困っている子どもたち』として」にもあるように、問題を子どもの側からとらえなおす視点をしっかりと踏まえています。

 文科省は、『教師の気づき』が大切だとして、全ての責任を教師の資質の問題に還元しようとしています。そしてその上で、やれ校内委員会だとかコーディネーターだとかの「上からの」体制作りを指示するのみです。

 現場の人間は、気づいていないわけでも手をこまねいていたわけでもありません。文科省が鳴り物入りで「特別支援教育」を言い出すずっと前から、多くの職場では「気になる子ども」の問題を校内で情報交換したり話し合う場所を持っていました。また、養護諸学校でも、実質的な地域支援の努力を積み重ねてきたのです。こうした現場を基盤とする「下からの」努力が不十分だったとすれば、それはそうしたことを支える教育条件に不備があったからなのです。そのことに頬被りした文科省の暴走を許してはならないと思います。

 文科省流の「上から」の「特別支援教育」路線か、それとも私たちが地道に積み上げてきた「下から」の本当の意味での特別支援教育実践か、のせめぎあいがこれからの焦点になるのだと思います。

 

障害児教育と一般教育

 以下は少し論調が異なるかもしれませんが、せっかくの機会なのでふだんから考えていることを述べさせていただきたいと思います。

 障害児教育をしていると「大変ですね、なんと言っても障害児教育は『教育の原点』ですからね」と言われたりするのです。言葉としては何も間違っていません。でもその時に私が感じる違和感は、「あんたらは、『原点』と無関係なの?」ということです。つまり、障害児教育をどこか異質な遠い存在としての押さえがあるようで嫌なのです。

永年、私はこうした思いを「障害児教育タンコブ論」と言ってきました。でも、昨今の状況からすると障害児教育はどこかに部分的な痛みを発する「タンコブ」ではなく、体内に深く根を持つ「ウオノメ」になったと感じます。現場はそのことで苦しんでいるのです。そのことが理解できていないとすれば、それは学習不足なのでしょうね。

文科省は「1%から1割へ」と対象の拡大を明言しました。でも、組合幹部も含めて我々にそれだけの覚悟ができているのでしょうか。この路線転換は、無責任な文科省ならいざ知らず、現場の人間にとっては、一般教育の中に障害児教育的要素を受け止めることを抜きにしては語れないのです。

日本の子どもたちが、強度の競争原理の下で「発達障害」を起こしていると諸外国から指摘されている現状を踏まえるならば、日本の教育全体の力を結集してその克服に立ち向かうべきなのではないでしょうか。障害児教育と一般教育とが正しく結び合ってこそ、この教育困難に立ち向かうことができると思います。

高等学校における「特別な教育的ニーズ」をもつ生徒

 先に述べた全教パンフの今一つの特徴は、「高校における障害児等にかかわる実態調査アンケート」の集約が掲載され、全6章の中の一つが「高等学校における『特別な教育的ニーズ』をもつ生徒の教育の実態と課題」にさかれていることです。

 大阪教文センターでも「通常学級と障害等をもつ子ども」の実態調査報告(037月)を行いましたが、これは小・中に限られていました。後期中等教育分野でのこうした調査はおそらく先例を見ないものでしょう。

 パンフレットは全分会配送になっていましたが、ご存知ない方も多いと思いますのでその一部を紹介させていただきます。

○高校には相当数の特別な教育的ニーズを抱える生徒が入学している

○公立高校においても「特別な教育的ニーズ」のある生徒の後期中等教育保障のための条件整備や特別な配慮が必要である

○「身体障害児」の生徒については学校種別にかかわらず、およそ半数の学校で在籍

○「知的障害児」の生徒については、中堅校→困難校→定時制と在籍率が上昇している

○「軽度障害児」の生徒については、困難校や定時制の半数以上に在籍しているというだけでなく、進学校や中堅校の3割近くにも在籍している

○困難校や定時制の15%程度では一割以上の何らかの障害のある児童が在籍している

 このデーターを読むかぎり、高校教育における問題の切実さが分かります。憲法・教育基本法の精神を実体化させるためにも、学校教育法に明記されている高等学校における75条学級(障害児学級)設置はゆるがせにできない課題となっているのではないでしょうか?

府教委の「調整額」全廃方針について

 最後に一言、「調整額」問題に触れさせていただきます。

大阪府教委は9月21日、「盲・聾・養護学校、小学校及び中学校の教職員に対する給料の調整額の廃止について」の提案をおこないました。府教委は、その理由を「盲・聾・養護学校においては、…相当の教職員定数配置がなされていることから、…一般校の教員と比較して、著しく特殊といえない」「養護学級に在籍する児童・生徒に対する教育は、…学校全体、教職員全体で取り組まれており、養護学級担当教員の勤務条件のみが著しく特殊であるとは言い難い」としています。

しかし、これは、障害児教育にかかわる教職員の「職務の複雑、困難若しくは責任の度又は勤務の強度」(府給与条例)の特殊性・専門性をみない“暴論”です。養護学校・学級の教職員は、子どもの障害の重度・重複化がすすむなかで、時には子どもの生命が脅かされる事態にも直面しながら、その成長・発達を保障するために日々努力を重ねています。府教委は、まず何よりも、「安全確保に片時も目が離せない」「腰痛多発職場としての現実は変わっていない」「身辺自立にむけた食事や排泄指導が大変」などの教職員の切実な声にこそ耳を傾けるべきです。また、「障害児教育にたずさわる教職員が専門性を発揮して、ゆきとどいた教育を保障してほしい」という保護者の願いに真摯に応えるべきです。

 永年障害児学級の担任をしてきた者の実感からすれば、この十年間現場の状況は悪化の一途であっていささかの改善もなされていません。もちろん、私の学校でも教務主任が3学年の体育に付き添っている実態があります。そんな事、十年前には考えられなかったことです。でもそうしないと回らない実態があって、そのことが職場の合意になるほど現場は追い詰められているのです。また、在籍児以外の「軽度発達障害児」を抱えて苦闘しておられる通常学級担任の方もたくさんいます。そうした実態を知っているなら、「調整額」の適用拡大をなすべきであって、そのことを理由にした撤廃提案は到底承服できるものではありません。

 今一つ、「調整額」全廃提案が全国に先駆けて、ここ大阪で開始されたことも注目に値します。大阪は「原学級保障」「養護学校不要論」の発信基地でした。そうした立場からすれば「調整額不要」の結論になるでしょう。そのことを見越しての攻撃であることは間違いありません。彼らの主張は、障害児に特別なケアをすることそのものを否定する論理です。その意味では、障害児教育を認めるか否か、障害児教育にかかわる専門性を維持するか否かに直結する問題でもあるのです。

 「調整額問題」は一般教育関係者と障害児教育関係者との間に投げ込まれた新たな楔です。彼らの「漁夫の利」作戦を許してはならないのです。

 府教委は間違いなく文科省との密接な連携の下にこの策動を開始したのでしょう。したがって、ここでの成否が全国に波及するのは火を見るよりも明らかです。同時に、この攻撃は教職員全体の賃金減らしの突破口でもあるのですから、どこにどんな形で飛び火するかもしれない危険な代物です。是非とも全教職員の力で跳ね返していきましょう。

(注1)「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」(最終報告)033

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