思い残すこと
またまた、ブログが途切れています。
実は、前回のブログも書きながら寝てしまって、それでも不思議なことに何とかアップロードできていたという代物です。ここの所、全障研大会の準備活動(それだけではないですが)で忙殺されていて、全く身動きの取れない状態が続いています。
前回も、本当はある方の「偲ぶ会」のことを書きたいと思っていたのです。でも、もうそのことは書きません。と言うのは、今日もまた、ある方のご葬儀に参列することになったからです。
彼女とは、大学院で出会いました。1浪1流をして教師になり、3年してから行った大学院で出会ったのですから、ボクより六つは下の年齢ですね。自分より年下の人の葬儀と言うのは、それだけで切ない思いがします。生前と変わらぬ風貌のご遺体に花を手向けながら、ひときわの感慨が心をよぎりました。
でも、最後の喪主ごあいさつの中で、夫君から彼女が生前「思い残すことはない」と語っていたことをお聞きして、とても救われた気がしました。「そうなんだ」と納得できたのです。「発達保障論」をライフワークに掲げ、様々な現場に足跡を残しながら、縦横無尽に生きてこられた故人の人柄を知る一人としては、これ以上ない葬送の言葉だと感じました。
「バンジン」と彼女は私を呼ぶことがありました。「バンジン」は板井の中国語読みですが、多くの人は「野蛮人」の意味であだ名になっていることを言うと、大笑いされたものです。「バンジン、しっかりしいや!」なんて声が今にも聞こえてきそうな気がします。わかりました。頑張ります。だから、安らかにお眠りくださいね!
翻って、自分を振り向くと、私には「思い残すこと」が多すぎます。とてもではないですが「思い残すことがない」なんて言えません。(これは板井の愚痴です)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)


最近のコメント